86. 「忘れられた作曲家 その2 連弾スイス旅行」

ニコライ・フォン・ヴィルム:「スイス組曲」表紙前回の続きで IMSLP にあるヴィルムの連弾曲,「スイス組曲 Schweizersuite op.130」 について触れよう。*1)

IMSLP ではカラーの表紙も楽しめる*2) が,この作品は「黎明と日の出 Morgendämmerung und sonnenaufgang 」「登山への出発 Aufbruch in’s Gebirge 」「フィーアバルトシュテッター湖上で Auf dem Vierwaldstädter See 」「ブリュムリスアルプで Auf dem Blümlisalp 」「シヨン城 Schlßs Chillon 」「ラウターブルンネンの谷で Im Lauterbrunner Thal 」「リュトリ Das Rütliの全7曲の組曲であり,スイスの名所を巡り,歴史を訪ねてという「地球の歩き方」も顔負けの,連弾によるスイス旅行といった趣である。梅雨明け後,猛暑の続く今,格好の暑気払いにもなろう。

まず「黎明と日の出」は,予想通り低音部の響きで静かに始まり,しだいに上昇する音の動きと輝かしいトレモロによって,約3分で日の出が訪れる。絶好の旅行日和だ!好天に恵まれれば,夜明けとともに登山を開始するのも当然だろう。

attacca「登山への出発」に続く。これは元気の良い行進曲風の作品だが,途中の伴奏にはシンコペーションの快調なリズムも使われ,最後は acceler. して Presto で終わるのは目的地の山頂に駆け登ったのだろうか?この登山には約4分を要する。

登山の次はフィーアバルトシュテッター湖の舟遊びである。ルツェルン湖とも呼ばれるこの湖の西端がルツェルン。アルトマン (W. Altmann) の目録によれば,この組曲が出版されたのは1894年。その20年ほど前にはリヒャルト・ワーグナーもこの街の郊外で暮らしていた。それはともかく,この作品は6/8拍子の優雅な舟歌で演奏時間は約3分20秒である。

ルツェルン湖を離れると直線距離で50キロほど南西に移動してブリュムリスアルプでレントラー風の舞曲を楽しもう。カラフルな民族衣装による踊りを約4分45秒観賞した後は,更に南西のレマン湖まで移動し「シヨン城」を見物する。遠くから見ると,まるで湖に浮かんでいるように見えるそうだ(私は行った事がないので…)。へ短調,6/4拍子,Andante の曲想は古城の遠い歴史や伝説を思い起こさせる。

約3分40秒間,古城の来歴に思いを馳せた後は,再びユングフラウの懐,ラウターブルンネンに戻る。花々の咲き乱れる広々とした草原のハイキングなのだろうか。変イ長調,2/4拍子の可憐な曲想で演奏時間は約2分半。そして最後は再び中央スイスに戻り,ルツェルン湖の東側に続くウルナー湖畔に位置するスイス誕生の地,「リュトリ」を訪ねる。へ短調,4/4拍子,Moderato でゆったりとしたファンファーレ風に始まり,徐々にテンポを上げて嵐のように激しく高まるのは,独立への強い信念と情熱か?そしてその後にへ長調の民謡が続き,このメロディが力強く歌われて全曲の幕を閉じる。演奏時間は約4分全7曲で約25分のスイス旅行である。

ヴィルム自身,実際にこのスイス旅行を楽しんだのであろうか。スイスに最初の鉄道が敷設されたのが1847年,観光用の登山鉄道の出現が1871年というから,鉄道も利用できたはずで,ヴィルムのスイス旅行も有り得ない話ではない。それにヴィルムには,アルトマンの目録を見ると「ロシアの村で Op.37」「バルト海の海岸から Op.169」といった,タイトルからの判断では異国に題材を求めた作品が多い。

ともかく,この「スイス組曲」は技術的に P・S ともに決して難しくはなく,親しみやすい曲想に満ちて,時には陶酔的な七の和音の連続を備え,P も S も弾いて楽しめる作品である。その書法は良い意味で「職人的」であり,全曲を見渡すと4度の上行,下行の動きが目立つが,こうした統一感も「職人的」な技(わざ)の一部であろう。

これほど親しみやすく楽しいヴィルムの作品群が,まったく演奏されなくなってしまったのは,不可解というほかはない。

では皆さん,鉄道事故には十分に気をつけて,良いご旅行を。

【参考情報】
*1) [松永教授のとっておき宝箱]「85. 忘れられた作曲家 その2 連弾スイス旅行」
*2) [IMSLP] "Schweizer Suite, Op.130 (Wilm, Nicolai von)"

【2010年7月24日入稿】