85. 「忘れられた作曲家 その1」

既にこの欄でも何度も取り上げたが,IMSLP*1) のおかげで,以前は人手不可能と諦めていた貴重な楽譜が大量に,しかも容易に入手できるようになった事は誠に喜ばしい。いずれこの欄に書く予定だが,レ(イ)ナルド・アーン*2)パウル・ユオン*3) のデュオ作品も人手可能となった。

しかしアーンやユオンのデュオ作品は,全部ではないにしても,一部はCDも出ていて実際の音として作品に接することもできるが,今回は,親しみやすいデュオ作品を大量に残したにもかかわらず,ほとんど知られていない作曲家を取り上げようと思う。

その作曲家はニコライ・フォン・ヴィルム(Nicolai von Wilm 1834〜1911)*4) である。
私がヴィルムのを知ったのは,かなり以前に友人から誘われてドイツ・ロマン派の作曲家による,子どものためのピアノ小曲集を編集した時にさかのぼる。

「ユーゲント・ルスト (子どもの喜び)」と題された曲集(もちろん独奏曲)で,アイディアは良かったのだがさまざまな事情で,特に装丁が思い通りにはならなかったのが心残りであった。全音楽譜出版社から刊行されたが,現在は絶版で,しかも今は手元に一冊もないのでヴィルムの作品名も思い出せない。

そのヴィルムロシア(現ラトヴィア)のリガで生れ,ライプツィヒ音楽院で和声や対位法,ピアノやオルガンのほかヴァイオリンも学び,20年ほどロシアで教えた後はドイツに移り,ドレスデンを経てヴィースバーデンに落ち着き,その地で亡くなっている。

ヴィルムの名は小さな事典では項目すらないが,さすがにマグローの本*5)は13の連弾作品(集)が紹介されており,そこでは「早書きで多作」と評されている通り,作品番号も250以上に達し,ヒンソンの本*6)にも7曲の2台ピアノ作品が紹介されている。

IMSLP で人手できるデュオ作品は,「変奏曲 Variationen op.64」(2台ピアノ)「スイス組曲 Schweizersuite op.130」(連弾)*7)である。

マグローはヴィルムの作品を「機知に富んだ,流麗なサロン風のスタイル」と評し,またアレック・ローリー(Alec Rowley)*8) はその著書「4 Hands 1 Piano」の中で「典型的なドイツ・ロマン派。心地良く書かれ,手に馴染む」と書いているが,まさにその通りであり,これほど無視されているのはどう考えても不当である。

しかし IMSLP にある「スイス組曲」は,マグローやローリーの本で取り上げられていない。これはヴィルムの連弾作品がそれだけ多いことを示しており,この作曲家のデュオ作品の全貌をつかむ事とは容易ではない。

私がかつて古本で入手し得たのは「シレージエンの旅の絵 Reisebilder aus Schlesien op.18」 (連弾)「ワルツ Op.72」(2台ピアノ)の2曲に過ぎず,前者の情景描写的な特徴や後者の華麗な作風は十分に理解できたが,これだけではいかにも情報不足であった。

さてIMSLPの作品中,まず弾いていただきたいのは「変奏曲」である。主題はト長調, 3/4拍子,Andantino 。 8小節の可憐でロマンティックなテーマを I がソロで弾き出すと, II がやはりソロで8小節を弾いて続ける。主題のあと10の変奏が並び,最後の華々しい変奏のコーダでは主題のエコーが少し聞こえて静かに幕を閉じる。演奏時間16分ほどの典型的なロマン派の,2台のピアノのための変奏曲であるが,この作品の特徴は I と II の対話や掛け合いの機会が多いことと,その曲想がさわやかな抒情に満ちていることである。

シューマン,ブラームス,サン=サーンス,グリーグ,レーガーらによる,お馴染みの2台のピアノのための変奏曲に比べると,技術的にもそれほど難しくなく,この種の作品の入門用にも適している。

アルトマンの目録によれば,この作品は1887年の出版だが,スコア形式の上,I 用のものはそのパートが大きな音符で,II 用のものはやはりそのパートが大きな音符で書かれているという,今でも皆無ではないが,古き良き時代に多い,贅沢な楽譜の様子も味わえる。

【参考情報】
*1) [サイト]International Music Score Library Project (Petrucci Music Library)
*2) [Wikipedia(jp)]「レイナルド・アーン」のページへ
*3) [Wikipedia(jp)]「パウル・ユオン」のページへ
*4) [Wikipedia(de)] "Nicolai von Wilm"のページへ
*5) [松永教授のとっておき宝箱]「18. マグロー氏の選択」
*6) [松永教授のとっておき宝箱]「43. 踊る人形たち…ポルディーニのピアノ作品 その2」
*7) [IMSLP] "Nicolai vonWilm" 作品検索結果
*8) [Wikipedia] "Alec Rowley" のページへ

【2010年7月10日入稿】