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「ガーヒー」と聞いただけで,すぐに特定の人物が浮かぶ方は,かなりの「シューベルト通」であろう。 シューベルト(1797〜1828) よりも4歳年上のヨーゼフ・フォン・ガーヒー (Josef von Gahy l793〜1864 ガヒィの表記もある)は,シューベルトが最も気に入っていた連弾の相手であり,二人の友情はシューベルトの死によって断ち切られるまで続いた。 ガーヒーはプロの音楽家ではなく,官吏であったがピアノが上手く,そのガーヒーをシューベルトに紹介したのは,一時は役所の同僚でもあったヨーゼフ・フォン・シュパウン (1788〜1865) である。 シュパウンはコンヴィクト(全寮制王立神学校)でのシューベルトの先輩であり,後から入学してきたシューベルト少年の天才に,恐らく最初に気付いた一人であり,後には友人としてシューベルティアーデの開催に尽力することになる。 さて,そのガーヒーは仕事上での書類の書き過ぎが原因なのか,右手の3,4指が麻痺して動かなくなってしまうのだが,シューベルトの作品の多くを連弾用に編曲し,シューベルトの死後は女流ピアニストのマリー・シュトールとともに連弾を演奏したという。 以上の事柄はシューベルト関連の本にはたいてい書いてあることだが,そうした「ガーヒー像」が,より鮮明に,そして身近になる資料がある。 そのひとつは「ムーサの贈り物[ドイツ編]喜多尾 道冬著 音楽之友社」*1)で,「絵画・詩・音楽の出会うところ」の副題が示す通り,絵画と文学と音楽の相互の関連を記した本である。 シューベルト関連の資料には,シューベルティアーデ*2)の常連として, モーリッツ・フォン・シュヴィント (1804〜71)やレーオポルト・クーペルヴィーザー (1796〜1862) の名前が「画家」としてしばしば登場する。 単に名前が羅列されていても,それらの人物像の具体的なイメージが湧いてくるはずもなく,私などは名前を読み飛ばすばかりだったが,「ムーサの贈り物」ではシュヴィントに関して一章が設けられ,シュヴィントやクーペルヴィーザーの絵画を採り上げているだけでなく,その人物像や周囲の人間関係,そして当時の時代背景にも触れている。 この二人によるシューベルティアーデを描いた,「シュパウン家でのシューベルティアーデの会合」や「アッツェンブルックでのジェスチャー・ゲーム」は有名なだけに,シューベルトの作品のCDの解説書の表紙を飾ることが多いが,LP時代の大判のジャケットと違い,CDの解説書は小型なのでその絵も小さい。 残念なことに,「ムーサの贈り物」も本の体裁の制約上,口絵以外の絵のサイズが小さいのはいたしかたないが,それでも絵の登場人物が特定されているので,シューベルティアーデ自体や,それに参加している人物たちのイメージが,より生き生きとしてくる。 この著者の多方面に渡る知識の豊富さと深さには敬意を表さずにはいられない。シューベルト研究の権威で,あのドイチュ番号にもなっているオットー・エーリヒ・ドイチュ*3)が,はじめはシュヴィントの絵画の研究者だったのが,その研究を通してシューベルトの音楽を知り,ついにはシューベルト研究の権威となった事も,この本で初めて知った。 こうした数々の「トリビア」的な知識だけでなく,深遠な内容にもかかわらず平易な文章で綴られた芸術全般に関する洞察に富んだ記述にも感心させられるばかりだ。 さて,「目」ではなく「耳」を通して「ガーヒーの肖像」を際立たせるのが,例のゴールドストーン&クレモウによる"Franz Schubert: The Unauthorised Piano Duos,vol.2 divine art25039"*4)である。 ここにはガーヒーの編曲による「ピアノ三重奏曲 第1番 D.898」「三重奏曲『ノットゥルノ』D.897」「アルペッジョーネ・ソナタ D.821」と,シューベルトとガーヒーの友情に最もふさわしい作品,「ロンド ニ長調 D.608」が,例のごとく素晴らしい演奏で収録されている。
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