89. 「パウル・ユオンの『舞踏のリズム集』 その1」

IMSLP やシブリーのおかげで,ユオンの連弾作品「舞踏のリズム集 Tanzrhythmenにも簡単にアクセスできるようになった。*1)

パウル・ユオン (Paul Juon 1872-1940)パウル・ユオン(Pau1 Juon 1872〜1940)*2) はスイス系のドイツの作曲家だがモスクワで生れ,1889年にモスクワ音楽院に入学。ヴァイオリンを学ぶほか,作曲をアレンスキータネーエフに師事した。その後もベルリンで学び, ここではクララ・シューマンの異父弟であるヴォルデマル・バルギール*3) に師事しており,この経歴だけでもユオンがスラブ系とゲルマン系の両方の流れから深い影響を受けたと想像するのに難くはない。

ユオンは一時期はロシアに戻ったものの,97年からはベルリンに定住し,健康を害して引退するまでの30年以上の間,ベルリン高等音楽学校で教職にあった。

ユオン「ロシアのブラームス」のニックネームでも呼ばれ,生涯,ロマン派の様式で作曲を続け,当時,その作品は人気があって頻繁に演奏されていたという。「舞踏のリズム集」は,0p.14の7曲,0p.24の5曲,0p.41の5曲の3セット計17曲の大作であり,しかもそれぞれのセットが2巻,3巻,2巻と細かく分かれて出版されている。タイトルの「舞踏のリズム集」そのものが「リズム」を強調しているが,まったく作品の内容は極めて多彩で生き生きとしたリズムに満ち満ちている。作品の傾向を一口で言うと,私にはチャイコフスキーとドヴォルジャークとブラームスを混合したような個性的な作風に感じられるが,ぜひ実際に各自で作品に接していただきたい。

Op.14(7つの小品)は楽譜のコピーライト表示は1900年だが,なぜか他の資料によると1901年出版となっている。行進曲風の1曲目から,スラヴ的なメランコリックな感じが強い。4曲目は短い作品だが5拍子で,軽快なリズムと滑らかなメロディを持つ。5曲目は3拍子だが,ヘミオーラが頻出し,決してシンプルなワルツではない。そして2拍子の軽快なリズムの6曲目は,楽しくユーモラスな主部のメロディと民俗的な中間部の対比が面白い。最後の7曲目は優美なワルツだが,いささか反復が多い気がする。演奏時間は短い4曲目が1分程度。長い,といっても反復が多いのだが,作品でも4分半ほどである。

さて,続く Op.24(5つの小品)「新(Neue)舞踏のリズム集」として1904年に出版された。1曲目からまったくユニークで1/4 ,2/4 ,3/4 ,4/4 ,5/4と拍子が四分音符で一つずつ増え,そして5に達すると逆に4/4 , 3/4 ,2/4と減っていく8小節のフレーズで作られている。それが少しも不自然さを感じさせないのだ。2曲目は「遅いワルツ」だが,途中に2拍子の小節がそっと忍び込む。そしてこの曲の中間部の繊細で優美な抒情は,ちょっとほかに見当たらないほど見事である。3曲目は7拍子で,そのなかでのリズムのグルーピングが変化に富んでおり,一種のヴィルトゥオーゾ的作品

ユオンはヴァイオリンが得意だったそうだが,「舞踏のリズム集」に見られるピアノや対位法の書法は極めて優れており,まったく感服させられる。「ニューグローヴ世界音楽大事典」ではモスクワ音楽院で作曲をタネーエフに師事したことになっているが,ユオンが入学したまさに1889年,タネーエフは作曲の妨げになっていた院長職を辞して,以後は対位法だけを教え続けたというので,ユオンの対位法の書法は,その道の「大家」であるタネーエフゆずりのものかも知れない。4曲目は5/8 ,2/4 , 6/8 , 3/4と1小節ごとに拍子が変化する,濃厚な民俗色を感じさせる作品で,静かで鄙びた旋律がオスティナートの伴奏に乗って歌われる。特にはじめの部分は「砂漠の夜」とでもいったタイトルがふさわしく感じられる。最後の5曲目は5/2拍子で,実に堂々としたコラール風の主題と6つの変奏。第5変奏はなんと5/1(1小節に全音符が5つ)拍子。最後はまるで躍動的なスラヴ舞曲の1曲のように変化して豪快に盛り上がり,この極めてユニークな連弾曲集の幕を閉じる。

【参考情報】
*1) 【IMSLPCategory:Juon, Paul」のページ(日本語版)
*2) [サイト] International Juon Society
*3) [Wikipedia(jp)] 「ヴォルデマール・バルギール」のページへ

【2010年9月4日入稿】