69. 「ピアノ三重奏曲『ドゥムキー』の連弾版」

わりと最近,と言ってももう昨年の事になるのだが,ある楽譜店の新刊コーナーで,ドヴォルジャークの「ピアノ三重奏曲第4番『ドゥムキー』 Op.90」の連弾版(ヘンレ社刊)を見つけた。

クリックで拡大画像がご覧いただけます。もともとはウクライナの哀悼歌だった「ドゥムカ」が,哀愁を帯びた器楽曲にも使われるようになり,その複数形が「ドゥムキー」である。
ドヴォルジャークによるこのピアノ三重奏曲は,緩・急を急激に交替させる「ドゥムカ」の形式を全6楽章に使っており,1890〜91年に作曲され,91年4月に初演,1894年2月にスコアとともに,ドヴォルジャーク自身による連弾版がベルリンのジムロック社から出版された。

スコアよりも多くの売上が予想される連弾版を望んだのは出版社の希望で,ドヴォルジャークは「この編曲はとても難しい」と言いながらも,「この仕事をこなせるのは私しかいない」として結局はこの仕事を引き受け,1893年8〜10月に連弾に編曲している。

単にスコアを機械的に連弾に編曲するだけならば簡単だが,原曲の響きを大切にして,しかも連弾曲として楽しく弾けるように編曲するのは容易ではない。
ドヴォルジャークが当時としては破格の報酬を得てニューヨーク・ナショナル音楽院の院長に就いていたのが1982年10月から2年間なので,この時期に「お金に困って」編曲を引き受けたのではなく,やはり編曲版でも自分の作品を大切にしたかったのであろう。

このあたりの事情は,ドヴォルジャークを引き立ててくれた大恩人のブラームスとも共通点があるが,作曲家ならば誰しもそうであろう。

さて実は1894年に出版されたこの編曲版の「子孫」が,以前から私の手元にあった。いつ買ったのかは忘れてしまったが,ネットショッピングの獲物である。私の楽譜は表紙がウニヴェルザール社のもので,それをめくると扉にジムロック社の表記があり,裏表紙の広告の楽譜のコピーライト表示が1919年なので,それ以後に出版されたものである。プレートナンバーは初版と同じなので,ともかくも新旧の楽譜を見比べることができる。

まず一見して,私の旧版は紙もだいぶ茶色に焼けてしまっている点を割り引いても,ヘンレ社の新版は「見やすい」の一語に尽きる。ともにスコア形式ではなく,S・Pが左右見開きだが新版は横長の体裁。全6楽章の楽譜部分が旧版では正味46ぺージ,それに対して新版は58ぺージで,それだけ余裕を持ってレイアウトされている。

そして新版では解説と校訂報告が詳しく,実は私のこの記事もその解説文に随分,お世話になっている。旧版には運指の表記はないが,新版ではグロートホイゼン*1)が担当しており,両手への配分を自由にして,弾きやすくした箇所が多い。校訂報告も「アクセントに見えるが実はデクレッシェンド」などと書かれており,旧版で練習していたら相当悩んだであろう。一般的には楽譜に骨董的な価値を求める場合以外は,新しくて優れた楽譜を買った方が便利だと思う。

CD "Duo Pianistico PALMAS DISCANTICA 172"ジャケットそしてドヴォルジャーク自身が苦労したこの連弾版の演奏効果だが,クリスティーナ&ルカ・パルマスの兄妹デュオ*2)のとても優れた演奏のCD "Duo Pianistico PALMAS DISCANTICA 172"*3)で聴ける(カップリングはドホナーニの「ピアノ五重奏曲第1番 Op.1」のブランツ=バイスによる連弾版)。今まで聴いたことのないデュオだが,知られていなくても優れたデュオが世界の各地にいることは実に心強いし,なによりも楽しみでもある。

この「ドゥムキー」,ご存知のように演奏時間30分ほどの大作だが,大雑把に言えば各楽章は5分程度なので,なにも全曲でなくとも1楽章だけを取り出して演奏することも不可能ではない。原曲を知りつくした作曲者ならではの編曲で,大胆に変更されている箇所もあり,しばしば両者の手が交差するように編曲されているだけでなく,例えば「ドゥムカ2」の後半では4手が中音域以上に集中するが,そうした軽くて輝かしい響きと,88鍵をフルに使った響きとの対比が連弾曲としてとても面白い。

ドヴォルジャークの連弾曲ファンには,何よりの編曲である。

【参考情報】
*1) [公式サイト]“Piano Duo Yaara Tal & Andreas Groethuysen”
*2) [公式サイト]“PALMAS PIANO DUO”CD紹介ページ
*3) [@TOWER. jp]“Dvorak: Piano Trio No.4 ''Dumky'' Op.90; Dohnanyi : Piano Quintet No.1 Op.1 / Duo Pianistico Cristina e Luca Palmas”

【2009年10月16日入稿】