66. 「フランス・ピアノ・デュオ作品のCD その2」

2枚目のCDに行く前に,もう少し前回の「ドリー」の続きを。

「評伝フォーレ 大谷千正・監訳 新評論」表紙J=M・ネクトゥーによる大著,「評伝フォーレ 大谷千正・監訳 新評論」*1)によれば,「ドリー」ことエレーヌ・バルダックの父親は,フォーレとして「ほぼ間違いはないだろう(P.264)」とのこと。しかしこの作品の父と娘による演奏はされなかったらしい。

エレーヌの母のエンマはフォーレにとって,ミューズ(音楽の女神)であり,なんとエンマはフォーレの歌曲に「ダメ出し」をして書き直させたこともあった。そしてロジェ=デュカス*2)「彼女が正しかった」と述べている。

エンマ・バルダックは後にドビュッシーとの間にも娘,クロード=エンマ(愛称シュウシュウ)を生み(ドビュッシーとの再婚はその後),ドビュッシーはシュウシュウに「子供の領分」を捧げているので,エンマ・バルダックの二人の娘はそれぞれの父である二人の大作曲家から,子供に関連するピアノ作品の傑作を献呈されたことになる。そうしてみると,エンマ・バルダックほど子供に関連したピアノ作品の誕生に貢献した女性はいないであろう。

また,エレーヌの兄のラウル・バルダックは,フォーレやドビュッシーに師事して作曲家となり,連弾作品では「前奏曲」で始まり「終曲」に至る全5曲の「長調の小組曲 Petit Suite majeure」(1914年,デュラン社刊)*3)を残している。師のフォーレやドビュッシーの影響が感じられるフランス風の繊細な作品であり,デュカスに献呈されている。

「フロラン・シュミット 4手のための作品集xvres pour piano x quatre mains TIMPANI 1C1159」ジャケットさて今回の本題のCDは,「フロラン・シュミット 4手のための作品集Œvres pour piano à quatre mains TIMPANI 1C1159」*4)で,クリスチャン・イヴァルディとジャン=クロード・ペヌティエの二人のベテランによる演奏。

アンデルセンの童話に基づく「眠りの精の一週間」,「旅のぺ一ジ」「ドイツの思い出」といった代表的な連弾作品が収録されている。

フロラン(フローラン)・シュミット(1870〜1958)シュミット(1870〜1958)*5)はこのほかにも連弾作品を多く残したが,これまで録音に恵まれず,私の知る限りでは「眠りの精の一週間」や2台ピアノ用の「3つの狂詩曲」,それに連弾作品集からのわずかな抜粋しか聴けなかった。昨年が没後50年というメモリアル・イヤーだったにもかかわらず,少なくとも日本では目立つイベントも行われなかったのではなかろうか。

このCDの意義は,平凡な演奏だが珍しいシュミットの連弾作品がまとめて聴けるといった水準にとどまらない。イヴァルディとペヌティエの二人による,余裕と遊び心に満ち,表情豊かな素晴らしい演奏によって,これらの作品が本来持っているはずの魅力が,より見事な生彩を放っているのである。単に「資料」として備える必要があるCDではなく,身近に置いて「何度でも聴いて楽しみたい」と思えるデュオのCDには久し振りに遭った気がするが,そんな内容のCDなのだ。

これまで,世界初録音と称するデュオのCDには,素晴らしいものもあった反面,残念ながら「作品の魅力を殺いでしまっているのでは?」と疑問に思えるCDもあった。こういったCDを聴いてしまうと,その作品に対して「詰まらない作品」という誤った先入観を持ってしまいがちで,結果的に作品の普及を妨げる事になりかねない。

ところがこのCDはまったく逆で,このCDを聴けば,もっとシュミットの連弾作品を弾いてみようという気になる人が,確実に増えるだろう。

アルフレッド・ドニ・コルトー(Alfred Denis Cortot)1877〜1962アルフレッド・コルトー*6)は,その「フランス・ピアノ音楽 2 安川定男・加壽子訳 音楽之友社」*7)で多くのページを費やして,シュミットのピアノ・ソロ作品を詳細に解説しているが,その反面、自身が「味わいのある」「魅力的な」「高ぶる物思いに満たされた,心を奪うワルツ組曲」と評している連弾作品については,紙幅が尽きて,コルトーの饒舌な解説に触れられなくなってしまった事は誠に残念だ。

「高ぶる物思いに〜」は「ドイツの思い出」についての言葉で,短いながらもまさにこの作品の魅力を的確に捕らえている。