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梅雨の最中の6月28日(日)の午後,昼頃から降り始めた雨の中,「第48回コンサート in たかね台」として,「笠原純子&友田恭子ピアノ・デュオ・リサイタル」が行われた。 会場の新京成線,高根公団駅近くの高根台公民館4F講堂に入ると,客席にはパイプ椅子が,「整然」とは言い難い状態で並べられているのに,ちょっとビックリ。野外コンサートの聴衆が緑の芝生の上に自由に,とは言っても聴きやすく,見やすい位置に自然に集まって座る状況と同様であろうか。 ステージ上のピアノもコンサート・グランドではなく,聴衆が身体を動かすと雑音の出るパイプ椅子もあるといったホールの状況だったが,1曲目のモーツァルトの「ソナタ ニ長調 K.381」が始まってすぐ,絶妙な「間」で次の主題が歌い出されると,満席の聴衆はモーツァルトの世界に強く引き込まれた。 第2楽章は「歌」に満ちて,楽譜には書かれていない「即興的な」装飾も楽しく,この若々しく活気に満ちた「ソナタ」に一層の彩りを添えていた。 デュオと同様にソロでも,そうした絶妙な「間」によって,それまでとはまったく違う景色と出会うように音楽が展開されるさまは,最近発売されたCD,「友田恭子 モーツァルト ピアノ・ソナタ集 Vol.2 ALCD-9086」*1)でも聴くことができる。 この日は曲間に姉妹によるトークがあり,ただ黙々とプログラムの曲目を弾き続けるよりも,やはり演奏者自身による直接の「解説」や「語り」は,音楽と聴衆との距離を確実に縮める。 しかも,この日のトークの内容は曲の解説にとどまらず,連弾演奏の難しさ…バランスやペダルにも及ぶもので,連弾に初めて接する聴衆にも,連弾を勉強中の聴衆にも,興味深く,そして役に立つ内容であったと思う。 ドビュッシーの「小組曲」では,視覚的にも4本の腕のしなやかで自在な動きが色彩的な音とともに楽しめた。豊かな表情で演奏されたブラームスの「ハンガリー舞曲」の第4,5番では,小型のピアノにもかかわらず,低音が良く鳴り響いて重量感と迫力があった。 休憩後はグリーグ「ノルウェー舞曲 Op.35-2」とドヴォルジャーク「スラヴ舞曲 Op.72-2」。 プログラムの最後は,この二人の委嘱による水野修孝の「ミューズの時」*2)。完全に二人の手の内に入った演奏であったが,「マンドリーノ」の特徴的なトレモロで,いつものようには伸びやかな「歌」が聴けなかったのは,ピアノの性能のためであろうか。「ラグタイム『愛の夢』」との比較の意味で,ほんのちょっとだけ原曲のリストの「愛の夢」がソロで聴けたが,文字通り変幻自在な「夢」のような詩的な演奏で,もっと長く聴いていたかった。 その「ラグタイム『愛の夢』」は,プリモ奏者の移動がある作品だけに,「レ・フレール」*3)の影響で,「連弾は奏者が動き回って弾くもの」と思い込んでいる聴衆にも,満足感を与えた事であろう。 この日のプログラムはまったく「連弾名曲コンサート」で,古典派,フランス印象派,ドイツ・ロマン派,民族楽派,そしてジャズやポピュラー音楽を取り入れた現代の邦人作品と,時代も様式も非常にバラエティに富んでおり,しかもホールの条件は最高ではなかったにもかかわらず,いずれも高度な演奏で,多様な聴衆を大いに楽しませたところに,この二人の実力の懐の深さを感じた。 正直に書けば些細なミスもないわけではなかったが,アンコールの2曲目は,ほとんど知られていないイギリス作品にもかかわらず弾き終わると満場の盛大な拍手とともに,賛嘆の声があちこちから上がった事実は,聴衆のすべてが.二人による連弾演奏の魅力を十分に堪能した証であろろ。
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