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確かにシューベルトは,ワルツ以前に流行したドイツ舞曲やレントラーを連弾曲として作曲している(「2つのトリオをもつドイツ舞曲と2つのレントラー D.618」「4つのレントラー D.814」)が,それらは少数に止まる上,残念ながら魅力的な多数の「ワルツ集」はピアノ独奏曲だけである。 ブラームスの16曲からなる「ワルツ集」は1865年に作曲された。第15番のイ長調は飛び抜けて有名だが,「いかにもドイツ・ロマン派の巨匠ブラームス」風な堂々とした第1番で始まり,そして「いかにも子守歌のブラームス」風な穏やかな第2番,そしてまたまた「いかにも哀愁のブラームス」風の第3番と続いていく。これらの短い…ほとんどは1分程度…ワルツを聴いていると,ブラームスの個人的な日記を読んでいるような気分にさせられる。 軽快で華麗な第6番や,いかにも「人生の秋」を思わせる孤独な寂蓼感に満ちたニ短調の第9番,「ハンガリー舞曲集」にそっと紛れ込んでいたとしても不自然さを感じさせないジプシー風の第14番等,曲想は極めて多彩で聴く者を飽きさせないだけでなく,全曲の配列にも工夫が凝らされ,「ワルツ集」としてのまとまりも良く,やはり「巨匠の傑作」の名に恥じない。 さて,ブラームスの「ワルツ集」に続く作品としてレーガー*1)の「6つのワルツ Op.22」(1898年作曲 Universal社刊)が知られている。この作品はレーガーの後年の作品群のような晦渋さがなく,実に明快で親しみやすい。
レーガーは若い頃,ブゾーニ*2)に宛てた手紙に「だれでも最初はやりたいことが多すぎる」と書いている。そのためか,少なくとも私の印象では決して全曲は親しみやすい作品とは言えず,初期のレーガー そしてブラームスの「ワルツ集」をはじめ,多くの連弾作品が技術的な「易しさ」によって「連弾=家庭的」なイメージを作り上げ,楽譜の売り上げを伸ばして作品を普及させているのに対して,「12のワルツ・カプリス」は家庭的とするには難し過ぎる作品が多い。 ヴィルトゥオーゾ・ピアニストでもあったレーガーにとっては,この程度でも易し過ぎるのかも知れない。ちなみにこの楽譜はシブリー音楽図書館*3)にもIMSLP*4)にもある。 しかしその6年後に書かれた「6つのワルツ Op.22」は,完全にブラームスの「ワルツ集」の精神を受け継いでいる。レーガーの「ワルツ集」の1曲目の旋律の冒頭,嬰ト音からロ音に短三度上がり,そのロ音を反復する動きは,ブラームスの「ワルツ集」の2曲目の(アウフタクトを除いた)1小節目と同じである。たった3音なので確証はないが,レーガーのブラームスに対するトリビュートと考えるのが自然であろう。 ほかにもレーガーの4曲目とブラームスの7曲目の冒頭の4音も同じ動きであり,レーガーの3曲目とブラームスの1曲目の冒頭の類似も指摘できる。「12のワルツ・カプリス」と異なり,この「6つのワルツ」のロマンティックな心地好さと親しみやすさは実に魅力的だ。 それはそれとして,ブラームスとレーガーの2作品の間は実に33年も隔たっている。その間には,いったい誰が,どんな「ワルツ集」を書いたのであろうか?
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