57. 「チャイコフスキーの声」

マーストン社(www.marstonrecords.com)から「録音の夜明け The Dawn of Recordingという,実に興味深い3枚組のCD(Marston 53011-2)*1)が出ている。

[CD]"The Dawn of Recording"ジャケット(クリックで拡大画像)エジソンが録音再生が可能な装置,「フォノグラフ」を発明したのが1877年なので,それ以降は録音が残っていても不思議はない。しかし,どんな機械でもそうだが,試作品が完成したからといって,すぐに安定した性能の製品が大量生産され,実用的な商品として普及するわけではなかろう。

まして現在と比べてさまざまな技術も未発達で,通信や交通手段も限られていた19世紀にあっては,原理の発見から商品化までには相当の時間がかかって当然であろう。

実際,エジソンの「フォノグラフ」にしても,直ちに実用的な製品が商品化されて広く普及したのではなく,他の発明家のさまざまな新技術を取り入れるかたちで改良され,実用的な製品となるまでには10年ほどを要したらしい。

ブラームス「ハンガリー舞曲」を録音したのが1889年で,これが有名作曲家の録音の最初のものだそうだ。今はインターネットを通してもこの録音が聴けるが,雑音の中からかすかにピアノの音が聞こえるに過ぎない。

CDの解説書によると,自身も音楽家を目指したジュリアス・ブロック(1854〜1934)が,1889年にエジソンからこの機械を買ってロシアに持ち込み,その後はドイツに,そして晩年はスイスに移って数多くの録音されたシリンダーを残したが,第2次世界大戦で破壊されたり,また破壊を免れたものも戦後はソ連に接収され,プーシキン・ハウスに保管されたままになっていたそうだ。この3枚組のCDは,わずかな例外を除くとそれらが音源なっており,1890年から1923年までのさまざまな録音が含まれている。

録音状態は,当然のことながら針音や雑音も入り,現在のそれとは比較にならないが,ブラームスの録音に比べると格段に良い。それでもシリンダーによってかなり差があり,雑音の方が音楽よりも大きい場合もある一方で,良好なものは当時の演奏を十分に楽しむことができる。

これらの録音のなかでも1892〜99年に録音されたアレンスキー(1861〜1906)*2)自作自演による10曲のピアノ・ソロが聴けるとはまったく驚きで,流麗で自在なアレンスキーのピアノ演奏スタイルが良くわかる。

パブスト(1854〜97)*3)の1895年の録音が残っていたのも没年から考えると驚異というほかはなく,ショパンの小品に手を加えながらの演奏には,当時のヴィルトゥオーゾ・ピアニストの流儀が窺われる。

ピアノ・デュオにしても,アレンスキーの2台のピアノのための「組曲 第2番 シルエット」から「学者」「道化」「夢みる人」の3曲が,タネーエフとパブストによる演奏で聴けるほか,ユオン*4)自作自演と日本にも馴染みが深いクロイツァー*5)の共演による「舞踏のリズム集 Tanzrhytmenから2曲,レオ・コニュス自作自演タネーエフの共演による連弾のための「組曲」が聴ける。

1912年,11歳のハイフェッツ*6)によるヴァイオリン演奏も収められており,天才少年の成熟した演奏とは対照的な,いかにも子供らしいハイフェッツの声も聴ける。ハイフェッツはドイツ語で「5歳」と言っているそうだが,その辺りの年齢の食い違いの経緯も解説書に詳しく,70ページに及ぶ解説書(英文)の内容も,このCDの価値を一段と高めている。

音楽以外に著名人の「声」では,トルストイの落ち着いた声のほか,ほんの短い時間だがチャイコフスキーの声も入っている。ここでのチャイコフスキーの声は,硬質でややかん高い。そしてアントン・ルビンシテインの声も一言入っている。

ブロックはルビンシテインの演奏も録音するつもりだったが,ついに成功しなかったらしい。なんとも残念な事だ。

このCD,限定盤なので今から人手可能かどうかは不明だが,資料としての価値は極めて高く,特に音楽関係の図書館や資料室には必須のものと言えよう。

【参考情報】
*1) [www.marstonrecords.com] ”The Dawn of Recording”(Marston 53011-2)
*2) [Wikipedia(ja)]アントン・アレンスキー
*3) [Wikipedia(ja)]パーヴェル・パプスト
*4) [Wikipedia(ja)]パウル・ユオン
*5) [Wikipedia(ja)]レオニード・クロイツァー

【2009年4月18日入稿】