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ドビュッシー(1862〜1918)の「小組曲」は,ドビュッシーのピアノ・デュオ作品中で, 最も良く知られている作品であるばかりか,デュオ作品の人気投票があったら, 多分,かなり上位を占める作品であろう。 1889年作曲という,ドビュッシー初期の作品であることが逆に幸いし,ドビュッシーが そうした初期の作品は,時に「因襲的」と言われることもあるが,無論,その言葉は後に さて比較的新しい,ドビュッシーに関する本や「小組曲」の楽譜の解説では,3曲目の 最初期の極めてロマンティックな歌曲に,テオドール・ド・バンヴィル*1)の詩による だが東芝EMI社の3枚組のCD,「ドビュッシー/歌曲全集」には,その作品は バンヴィルの詩による歌曲「艶なる宴」は,やっと1984年にジョベール(Jobert)社から「Sept poème de Banville」*2)中の1曲として初版が刊行された。 楽譜を見ると,その主要部はまったく「メヌエット」そのもので(と言うよりも実は「メヌエット」が歌曲の「艶なる宴」にそっくりなのだが),私は実際の音で聴いたことはないが,もし作品成立の経緯を知らずにこの歌曲を聴いたら,ホルストの組曲「惑星」のなかの「木星」の主旋律が,「Jupiter(ジュピター)」として歌われてヒットしたように,クラシックの名曲のさわりに歌詞を付けたものと思い込んだことだろう。 なお,ドビュッシーはこのバンヴィルの詩による「艶なる宴」だけでなく,ヴェルレーヌの詩集「艶なる宴 Fêtes galantes」*3)による歌曲集も作曲しているのでややこしい。 2集あるこの歌曲集のうち,第1集(改訂版は1891〜2年作)の3曲目が「月の光」だが, この歌詞の中には「マスク」や「ベルガマスク」という言葉が出てくるものの,ピアノ作品 また「小組曲」は,アンリ・ビュセール(1872〜1973)によってオーケストレーションされた版でもしばしば演奏される。 ビュセールは,1902年4月のドビュッシーの歌劇「ペレアスとメリザンド」の初演の際に合唱指揮を担当し,練習時に正指揮者のメサジェが不在の時は指揮を代行しただけでなく,そのメサジェが別の仕事でロンドンに渡ったため,第4回の演奏会からは正指揮者を務めた。 さすがに初日は指揮する腕が「鉄のように硬くなった」そうだが,その翌日,ドビュッシーは感謝の言葉を書き入れたピアノ・スコアを,自らビュセール宅に持参して贈ったという。 「小組曲」のオーケストレーションは,1907年4月にドビュッシーがビュセールに依頼 ビュセールは「小組曲」を2台4手にも2台8手にも編曲しており,今でもデュラン社から そしてビュセールは学生時代,ポール・デュカ*4)とドビュッシーが弾く「小組曲」を聴く機会にも恵まれている。
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