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「中井恒仁のブラームス」*1)と題して,11月10日(月),東京文化会館小ホールでブラームスのピアノ全曲シリーズの第4回が行われた。![]() プログラムの前半は中井氏のソロで「主題と変奏 ニ短調」と「幻想曲集 作品116」,そして後半には武田美和子氏との共演で「ハンガリー舞曲集全曲」が演奏された。 ホールに入るとステージ上の見慣れないローズウッド色の美しいピアノが目についたが,この夜は1887年製のスタインウェイ・ピアノが使用され,「主題と変奏」の冒頭から,その特徴的な渋く落ち着いた音色がホールに響いた。 前半のソロも立派な演奏であったが,このリサイタルの私の興味は特に後半にあった。 かつて「ムジカノーヴァ」誌上等に盛んに執筆されただけでなく,演奏や著作,講演でも大活躍されていた某ピアニストが,かなり以前の事になるが,「リサイタルではハンガリー舞曲集全曲を弾くべきではない」と主張されていたのが頭の隅に残っていたからである。 まして,「全曲シリーズ」のためだろうが,全21曲の演奏順も楽譜の順番通りのものである。しかし,この夜は全21曲の演奏に退屈するどころか,「ハンガリー舞曲集」の新たな魅力を提示された思いで全曲を聴き終えることができた。 「同じような傾向の曲が21曲も続くと退屈」というのは誤った俗説で,正しく演奏されさえすれば,これらの作品はそれぞれにとても個性的であったのだ。 これらの21曲はブラームスがお金のために大衆的な人気を得られそうな作品を書きまくったのではなく,結果的にはお金も儲かったようだが,ブラームス自身がクララ・シューマンとともに演奏して聴衆の喝采を博したこともある立派な芸術作品なのだ。 この夜,その第1番がSによって弾き出された直後,細部までも良く歌って実に表情に富んだ演奏である事が示された。 全21曲の前半で特に多い反復も忠実に守られていたが,反復の際の強弱や対旋律の強調の多彩な変化によって,単調な「反復」ではなく,更なる「発展」として新たな音楽が続くようにも聞こえていた。 極めて優れたテクニックを持つ二人だけに,全体的に速めのテンポが採られ,颯爽とした演奏であったが,技巧を誇示して弾きまくるのではなく,最後の和音の強奏にしても決して叩きつけず,この夜の楽器のまろやかな響きが十分に考慮されていた。 そうした考慮は当然,連弾としての全体的な響きにも向けられ,とても良くバランスが取れていて,この楽器を使用したのは成功であったと思う。 良く歌いながらも誇張のない表情,歪みのない精密で快適なリズム,幅広いダイナミック・レンジとその適切な使用のほか,細部にまで自発的な表現意欲に溢れた演奏は,大いに楽しめた。 特に第15番の終わり近く,Sの刻む伴奏のリズムが,まるでウィンナ・ワルツのように弾かれたのは,いかにもオシャレで強く印象に残った。 アンコールの1曲目はブラームスと繋がりの深いドヴォルジャークの「スラヴ舞曲集」から有名な「作品72-2,ホ短調」。ここではPの澄み切った響きに魅了された。 そして最後に最近発売されたCD*2)にも収録されているラフマニノフの「イタリアン・ポルカ」が名技的に演奏されて,当夜のリサイタルが締め括られた。 この日を含めて最近,私が聴いたデュオの演奏会は優れた内容のものばかりで,誠に喜ばしい限りだ。 ピアノ・デュオが本来の素晴らしい魅力を発揮し始めた…
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