24.「瀬尾久仁&加藤真一郎ピアノデュオ・リサイタル」

日本のピアノ・デュオ界に素晴らしい新人が加わった。
ちょうど今の季節,豪華な星々が煌めき集う冬の星座の中に,
またひとつ輝く新星が現われたように。

12月3日,東京文化会館小ホールで行われた
「瀬尾久仁&加藤真一郎ピアノデュオ・リサイタル」*1)の最初の
曲目は
シューベルトの「自作主題による変奏曲 D.813」

主題が始まってわずか数小節で,当夜の聴衆は,
余分な脂肪が削ぎ落とされた透明な響きを耳にした。

といってもそれは決して貧弱なものではなく,
弱音が特に注意深く整えられて常に全体のバランスを美し
く保ちながら,
第2変奏のSのオクターヴのユニゾンでは,
凄味のある低音が1台のピア
ノの響きを
いかにも連弾らしい充実したものに変貌させる。

優れたデュオ,なかでも連弾を聴くといつも感じるのだが,
デュオに必要な音量のコントロールの幅はソロのそれよりも広く,
同時により一層の精密さが要求される。

デュオがソロよりも低級だと信じている人は,
こんな明瞭な事が聴いていて分からないのだろうか?

もっとも前回のこの欄の私のように,
なかなか先入観は取り除き難いものだが。

それはともかく,まるで二人の連弾奏者の「性能」を試すかのような
ピウ・レントの第7変奏…ゆったりとしているため打鍵の厳密
な同時性と
豊かな歌心の両立が要求される箇所…も,
決して機械的になったりせずに見事
に乗り切った。

2曲目はレーガーの「モーツァルトの主題による変奏曲」

この作品がこれほどの透明感と優雅さを保ったままで演奏されるとは
予想もしなかった。

先に触れた卓越した音量のコントロールと,熟慮された精密な設計,
そしてそれらを実際の音にする優
れたテクニックは,
fff(フォルティッシッシモ)記号が頻出するフーガの終結部でも,
決して単調に鍵盤を叩き続けることなく,
幾度かの盛り上がりを経て巨大なクライマック
スに到達していた。

当然,こうした演奏はレーガーのすべての「過剰」がもたらすある種の凶暴さと,
更にその先にある滑稽さを露にするタイプの演奏とは対極的な位置にある。

三善 晃による「響象I&II」に関しては,
演奏者自身によるプログラム・ノートに
「実に生々しい音楽」
と書かれているが,こうした無調的な作品までも含めて
全曲暗譜(室内楽では多分,慣例に従って楽譜を置いていたが)
で挑んだ意欲は,まさにその言葉を音で的確に表現していた。

それぞれの音が一貫して有機的な連携を保っていたのみならず,
特にIでの練習番号8以降の雄大な流れは実に印象的だった。

シューマンによる「アンダンテと変奏曲」の原曲でもある,
『2台のピアノと2つのチェロ,ホルンのための室内楽曲』*2)は,
これらの楽器の奏者の好演も得て,良く息の合ったアンサンブルで
「幻想的ピア
ノ作品作曲家」の本領を示した。

ブラームスの「シューマンの主題よる変奏曲」も,ニュァンス豊かな演奏で,
これほど良く歌う演奏は師のタール&グロートホイゼン譲りのもの
(Brahms-Schumann Inspiration & AdorationのCD*3)で聴ける)
であろう。

プログラムの最後はレーガーの「モーツァルトの主題による変奏曲」の第8変奏
アルフォンス・コンタルスキー(兄のアロイスとともに名ピアノ・デュオとして有名。
この兄弟にも「シュー
マンの主題よる変奏曲」の録音があるが,
良く歌うタイプの演奏ではない)が2台のピアノと2つのチェロ,ホルンのために
編曲した版
世界初演

この編成の作品は珍しいだけに,シューマンの「アンダンテと変奏曲」の後の
格好のアンコール曲となろう。

そして当夜のアンコールとして,サン=サーンスの「白鳥」がチェロと2台のピアノによって
プロ
グラムの余韻を惜しむかのように演奏された。

演奏会では,聴衆が演奏家の素晴らしい語り口に引き込まれると,
満場が真に集中して聴き入っていると感じられる瞬間があるもの
だが,
当夜のリサイタルはそうした時間が実に長くあった。

演奏には何ら不足のない,充実した一夜であったが,
ピアノ・デュオの魅力を更に一般に広めるために,
今後このデュオがカリスマ性か,あるいは「華」の少なくとも一方を
身に纏うことを願うのみ
だ。

【2007年12月15日入稿】


【参考情報】
*1) [チラシ]「瀬尾久仁&加藤真一郎 ピアノデュオ・リサイタル」
*2) [Wikipedia]シューマン/アンダンテと変奏曲
*3) [CD]Duo Tal & Groethuysen: Inspiration & Adoration

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