8.高貴な戯れ・・・ブラームス「ハイドンの主題による変奏曲」の魅力
数多くのピアノ・デュオ作品の中には,
特に「弾いて楽しい」と感じられる作品がいくつかある。

これは私の個人的な感想に止まらず,
恐らく多くの方々が「弾いて楽しい」と感じられる作品が,
人気作品となるのであろう。

「聴く楽しみ」を超える「弾く楽しみ」
それは「指と耳の悦楽」なのであろうか?
否,もっと人間的な音楽を介した「二人の戯れ」なのだろうか?

「なんだ。松永はそんな曲を弾いて喜んでいるのか」と言われそうだが,
私にとって,ミヨーの「スカラムーシュ」やベネットの「四つの小品組曲」は
弾いて楽しい作品である。

いずれも2台ピアノ作品だが,連弾曲はスペースが狭く,
指がぶつかったり,姿勢が無理になる事もあり,
余裕を持って楽しみにくいのかも知れない。


そしてもう1曲,ブラームスの「ハイドンの主題による変奏曲」も
弾いて実に楽しい作品である。この明朗で落ち着いた主題を弾くと,
いつも自分がほんの少しだけ「高貴なもの」に近付けるように感じられ,
それは「スカラムーシュ」や「四つの小品組曲」の楽しさとは別種の,
特別なものである。

この主題はIもIIも全く難しくないのも嬉しい。
そして変奏を弾き進むにつれて,最初は単に
「ブラームスって,ホントに3:2のリズムが好きだな」
などと思っていても,
次第にその多彩な美しさに満ちたロマンティックな世界に引き込まれてしまう。

どの変奏でも一方のピアノが単純な伴奏を担って
他方に従属するような箇所は無く,
2台のピアノは完全に独立していながら,
それでいて見事に協調し,また巧妙に噛み合う。

それぞれの変奏の性格的な変化も,
弾いていて実に楽しい。

そしてパッサカリアによる「終曲」を迎える。
IIが静かに弾き出す5小節のバス主題は,
言うまでもなく主題の旋律とバスを組み合わせたものだが,
1小節遅れてIがカノン風に追う。

35小節まではIIがこの主題を弾き続けるが,
この「終曲」をミニマル・ミュージックの先駆とまでは言わないにしても,
短い主題の反復は催眠的な効果があるのか,瞑想的な気分にさせられる。

21小節以降の和音やオクターブの壮麗な進行に,
気持ちを高揚させずに済ませられるだろうか?

もっとも,この辺は跳躍が多く,技術的には難しいので,
各音の着地がピタリと決まればの話だが。

跳躍が外れっぱなしでは,逆に気分は落ち込む…。

31小節からはバス主題の音価が半分に短縮されたモティーフが,
2台のピアノによって1小節毎に畳み掛けるように現れ,
全くブラームスの多彩で確かな書法には感嘆させられるばかり。

この「変奏曲」,管弦楽版は56a,2台ピアノ版は56bの作品番号を持ち,
それだけでも両版が独立した作品である証しだが,
ブラームス自身,
「2台ピアノ版も,管弦楽版のアレンジに過ぎないと思って欲しくない」
と述べている。


両版の違いはテンポの指示や細部の音型の差異などもがあるが,
最大の違いは「終曲」の46〜65小節にかけてであろう。

この間,2台ピアノ版の旋律や伴奏型のリズムは
管弦楽版よりもずっと複雑,微妙で,
まさにピアノ的である。

46小節からは,まずIIが5小節間ソロ
(正確にはソロ同然のフレーズ。それがいかにもブラームス風)を弾き,
次の5小節は一緒に,その次の5小節はIのソロ,
そして再びIIのソロと続く。

一方が優美を極めたソロを弾く間,他方は旋律に寄り添うように
バス主題だけをそっと弾くのだ。

どんな言葉がこの素晴らしさを表現できようか。

1873年の夏にブラームスはクララと出版以前のこの作品を試演しただけでなく,
その後もクララやエリーザベト・フォン・ヘルツォーゲンベルク
(これも美人で有名な人妻)としばしば演奏して楽しんだという。

なお,この作品のロベルト・ケラー (Robert Keller) 編曲による連弾版も
出版(Alfred Lengnick社)*1)されていたが,
この原曲は管弦楽版なので,上記のような「終曲」での楽しみは
残念ながらここには無い。


【2007年5月17日入稿】

【参考情報】
*1) Alfred Lengnick社 

トップへ